新型コロナと非正規労働

ある非正規労働者の日記 ある非正規労働者の日記

新型コロナが経済を直撃している状況だ。私のような非正規労働者にとって、これは脅威としか言いようがない。

新型コロナ関連の企業倒産も、1000件に達したのとのニュースも出ていた。

新型コロナ関連の経営破綻、1000件に 飲食業が2割弱占める
東京商工リサーチによると、新型コロナウイルス感染拡大に関連した経営破綻が全国で累計1000件に達した。特に飲食業への打撃が大きく、全体の2割弱を占めた。幅広い業種で先を見通せない経営環境が続きそうだ。

 

私の場合は、たまたま仕事を失う状態には至っていない。しかし、多くの非正規労働者が失業したり減収に陥ったりしている。

そもそも、非正規労働者は経済状況が悪くなったときの安全弁として雇われている。雇う側からすれば、こういうときこそ、非正規の人には休んでもらうかやめてもらうかしてもらわなくてはならない。非正規労働者は、雇う側にとってみれば、どうなろうが知ったことではない存在だ。

だいたい、正規労働者であっても会社の経営状態が悪くなれば、肩たたきをしてやめてもらうのだから、雇う側にとってみれば、非正規は真っ先にやめてもらうべき労働者だ。

経済学者にして大臣や政府委員を歴任し、人材派遣会社の経営者である人がテレビ朝日の「朝まで生テレビ」で言った「首を切れない社員なんて雇えないですよ!普通」という発言が思いだされる。

ともかく、非正規労働者は新型コロナが猛威をふるう中で、感染しなかったとしても被害を受けている弱者であることは間違いない。

幸いに失業には至らなかったとしても、多くの非正規労働者にとって、リモートワークで家にいるなどというのは夢のまた夢だ。非正規労働者は、現場で正社員のいやがる仕事をしている場合が多いのだ。非正規労働者は感染をおそれながら、仕方なく働いているのが現状だ。

仕事のある非正規労働者でも、もしも感染したら、その後は仕事を休まなくてはならなくなる。そうすると収入はなくなる。「退職してくれ」とも言われたら、しぶしぶでも「はいわかりました」と答える人が多いだろう。多くの非正規労働者は、企業別労働組合が守ってくれるわけではないのだから。

非正規労働者の多くは、幸いに仕事があっても、感染の危険にさらされ、感染してしまえば、それでクビを切られてしまう心配を常にかかえながら働いている。私も、その思いで働いている。

 

感染の不安をかかえながら、それでも感染の危険のある仕事をし、感染すれば無収入になるという現状は当然のことなのだろうか。

余分な外出を避けて自宅で仕事ができ、万が一感染しても、失業することもなく一定の収入が保障されている人がいる一方で、感染の危険にさらされながら十分な保障のない人がいることは、社会において正当なことなのだろうか。

正社員がいやがるような危険な仕事をしている非正規労働者が、もし病気やけがをしたらそれで終わりということが正しいことなのだろうか。

 

正社員になりたくてもなれない非正規労働者については、努力を怠り、楽をして生きてきたから当然の報いなのだという人もいる。資本主義社会は競争社会だから、いかなる事情があるにせよ、勝ち組・負け組が生じるのは当然だという人もいる。運もまた才能だという人もいる。

世の中には、いろいろな考えの人がいる。大きく分けて、自由競争などの自由を重視する人と、経済的な平等を重視する人がいる。小さな政府をよしとする人と、大きな政府をよしとする人もいる。いずれの考えを選ぶのも、個人の自由だ。

ただし、非正規労働者である人が、すべて若い頃からサボってきた怠惰な人間とはいえない。すべての人が仕事ができない能力の劣る人間でもない。たまたま、個人の意思や努力を超えたさまざまな条件で、そうなった人もたくさんいる。

そういう人を「あなたは負けです」として切り捨てる社会は、住みにくい社会であることは間違いない。

今、順調に生きている人でも、病気や事故で障がいを負ったり、災害で家を失ったりしたとき、「あなたは負けました」と言われてそれで人生が終わってしまう、そんな社会が住みやすい社会とはとても思えない。

新型コロナが蔓延している中、これに感染することは「自業自得」とは言えない。どれだけ気をつけていても、感染してしまうこともある。感染したら「あなたは負けです」と言われても、私は納得できない。

コロナ禍で苦しい状況の中でこそ、がんばっている人が報われるような社会、だれにとっても住みやすい社会とはどういう社会かが見えてくるように思う。

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