「仕事が面白くなくて死にそうだ」と思いながら、生活のために仕方なく働いている。
世の中には、そんな人が多数派で、圧倒的な割合を占めているだろうと思う。私もそ
の一人だ。
もちろん、つまらない仕事やつらい仕事でも、その中にいくらかでもやりがいを見いだして、低賃金でもがんばっている人も多くいるだろうと思う。
この「やりがい搾取」といわれるような状態に置かれている人は、まだましなのかもしれない。
私の場合は、その「やりがい」も感じられないまま、日々あくせくと働いている。
たとえ、やりがいがなくても、生活が安定する収入があるからがんばっているんだという人も多いだろう。確かに、年収で300万円以上あれば、まだ何とかがんばれるかもしれない。
しかし、私の場合は、それにもはるかに届かないため、生活も不安定だ。
そのため、働くことは苦役にしか感じられない。いくらがんばっても、昇進や昇給とは関係ないし、賞与もあるはずがない。ただただ、クビにならないように、ミスをしないよう仕事をこなしているだけだ。
誰かに感謝されるとか、喜んでもらえるとか、まして上司にほめてもらえることもない。仕事をして当たり前。ミスをしなくて当たり前。安い賃金でも我慢して当たり前。不満を言うことは許されない。
こんな状態だから、仕事を通して、自分が生きている意味も感じることも難しい。
やりがいもなく、生活もままならない状態でなぜ働くのか。それは、転職すら容易にできないからだ。
もはや若くない私のような人間には、転職という道は、ほぼないのも同然だ。まして、今はコロナ禍の下での不景気だ。いくら株価が上がっても、けっして好景気ではない。多くの平凡な人間にとっては、仕事はほとんどないのだ。かりに転職できるとしても、今の仕事と同じようなむなしさしか感じられない仕事しかないだろう。
日曜日の新聞の求人折り込み広告を見ていると、いかに今は仕事がないのかがよくわかる。新型コロナが蔓延する前と比べると、かぎられた業種だけだ。それも、退職者の補充がほとんどのように見える。
コロナ禍で仕事を失った人もいるなかで、まだ働く場があるだけありがたいと思うべきなのかもしれない。しかし、このように、生きている喜びを感じることのできない苦役のような仕事を続けていると、精神や肉体がむしばまれていくのではないかと感じている。
